芸術監督ルジマトフ

芸術監督ファルフ・ルジマトフ
ルジマトフ正面写真
芸術顧問
ファルフ・ルジマトフ
Farukh RUZIMATOV
  ウズベキスタンの首都タシケントに生まれ、9歳からドゥシャンベに移り住む。1973年にワガノワ・バレエ学校の視察団の目にとまり、その年に親元を離れ、サンクトペテルブルグの同校に入学。 1981年にバレエ学校を卒業し、マリインスキー劇場(キーロフ)バレエに入団する。 1990年にはアメリカに渡り、ABT(アメリカン・バレエ・シアター)で活躍する。 ちょうどソ連ではペレストロイカの頃、多くのダンサーが海外に流出していた時期なので、そのままアメリカを本拠地にするのかと思われたが、翌年帰国。ロシアのファンに一層愛される結果となった。
初来日は1986年のマリインスキー劇場(キーロフ)バレエの日本公演。 アルティナイ・アスィルムラートワと「ジゼル」全幕に主演している。1991年の来日公演での「海賊」アリ役が大きな話題になり、ファンを増やした。 その後は「ルジマトフのすべて」「オールスター・バレエ・ガラ」「世界バレエの美神たち」公演、またレニングラード国立バレエ日本公演へのゲスト出演などで来日している。
「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「バヤデルカ」「ジゼル」などではノーブルな雰囲気を漂わせ、「ドン.キホーテ」では明るさを、「シェヘラザード」ではエキゾチックな魅力を感じさせる。 また「タンゴ」(タグノフ振付)、「バクチ」(ベジャール振付)、「カルメン」「若者と死」(プティ振付)などモダン作品でも個性を発揮。 「ニジンスキーの肖像」(98年初演)では伝説の天才ダンサー、ニジンスキーに扮し、2004年に笠井叡振付の「レクイエム」を世界初演、2005年9月には笠井振付「UZME」でスサノヲ役を演じ、さらにフラメンコ・ダンサーとの共演を果たし、ロシア史に数々の伝説を残した怪僧ラスプーチンを演じ、2007年にはリカルド・ロメロ振付の「ボレロ」、岩田守弘振付の「阿修羅」を初演するなど、独自の新たなジャンルに常に挑戦しつづけてきた。 2002年12月には「モーツァルトとサリエリ」のモーツァルト役で演劇デビューを果たしている。 高度なテクニックと表現力の豊かさに加えて独特の熱情を持つダンサー。そこにはカリスマ性があり、観客を魅了してやまない。 2007年5月にレニングラード国立バレエのバレエ芸術監督に就任し、世界を驚かせた。バレエ団全体を刷新、新たなレパートリーも増やし、芸術監督としての手腕も高く評価されたが、2009年10月「踊ることに専念したい」と職を辞し、同時に芸術顧問(アドバイザー)に就任した。世界中のファンが見守る中、ダンサーとして、さらなる進化が予想される。

※以下は、ルジマトフの芸術監督としての活動を取材した記事です。
 

芸術監督ルジマトフの一日(日本編その2)

ルジマトフの素顔に迫る、大好評のシリーズをupしました。
今年初めの「レニングラード国立バレエ2007-2008」で芸術監督としての手腕を発揮したルジマトフ。新たなる活動に、世界のメディアやマスコミから注目されました。取材風景やゲネ・プロ、リハーサルの模様をレポートします。
指示を出すルジマトフ
「ドン・キホーテ」ゲネ・プロ ゲネ・プロ
この日は「ドン・キホーテ」のゲネ・プロ(本番前の通し稽古)。客席からマイクでソリストや主演ダンサー、群舞(コール・ド)に至るまで、細かい指示を出します。
さらに、照明効果やオーケストラによる音響、細かい演出も入念にチェックし、こだわりを見せます。
コチュビラ「白鳥の湖」
リハーサルを真剣に見守るルジマトフ リハーサル
ソリストとリハーサル教師とのリハーサルの模様を見学します。
この日はコチュビラによる『白鳥の湖』のリハーサル。主に黒鳥のパ・ド・ドゥを入念に練習します。
取材
雑誌の取材を受けるルジマトフ。劇場に対する想い、今後の方針などについて熱く語ってくれました。
インタビューの後は劇場のロビーでの写真撮影。キマっています。
横には芸術監督の仕事を支えるバレエ・ディレクター、クリギンの姿も。
何気ないポーズも絵になるルジマトフ     ルジマトフの様子をモニター越しにチェックするクリギン
番外編
こちらは、「ルジマトフのすべて2008」で来日したときのひとコマ。公演後、楽屋でファンの皆様からの手紙をじっくり読んでいます。息子さんとのほほえましい、貴重なショットも。
ファンからの手紙を熟読中     一家だんらん
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芸術監督ルジマトフの一日(日本編その1)

レニングラード国立バレエの芸術監督として活躍中のルジマトフ。現在、サンクト・ペテルブルグにて新作「カルメン」に向けて練習中です。

ここでは少し前を振り返り、知られざる2008年1月の「白鳥の湖」公演時の日本でのルジマトフに密着取材しました。
長時間のフライトの疲れを見せず、元気に来日
12:00 成田到着。タバコを一服した後、タクシーに乗り込みホテルへ向かいます。

タクシーの中で
ルジマトフのデスクには日本のファンとの写真が飾られている14:00 ホテルへチェックインし、シャワーを浴び着替え、すぐに劇場へ向かいます。

タクシーの中でも気になるのはやはり、ダンサーたちのこと。「みんなしっかりやっていたかな。彼らに会えなくて寂しかったよ!」
舞台袖から声をかけるルジマトフ
15:00 この日は「白鳥の湖」の公演。劇場に到着すると、すぐに舞台袖より見学。「もっと手をそろえる!あいさつはしっかり!」と舞台袖から声をかけます。
17:00 わずかな休憩時間の間にも、続々とソリストたちがルジマトフのもとへ駆け寄ります。「練習を見て下さい!」と熱心なダンサーたち。
タクシーの中で
プロームとの「海賊」リハーサル18:00 続いてプロームとリハーサル。この日ルジマトフ自身の得意なレパートリーである「海賊」。
「こわがらないで、ステージをもっと広くつかって!」とアドバイス。次々とソリストたちがやってきて、練習したヴァリエーションを披露。
「踊ることの喜びをもっと表現して!」と檄を飛ばす。
「腕はこのように!」と実演付きで指導すると、ダンサーたちの踊りもみるみるうちに変わる。
バレエ・ディレクター クリギンと打ち合わせ
19:00 バレエ・ディレクターのクリギンと打ち合わせ。不在の間のことやこれからのプランを報告。ふたり並んだ姿は絵になります。
21:00 来日してすぐに劇場に入り、出たのは21:00近く。お疲れ様でした。

このように来日時も芸術監督として多忙を極めるなか、「日本のファンのために是非踊りたい!」と実現した今回の「ルジマトフのすべて2008」。約1年ぶりに日本の舞台に立つルジマトフの姿は必見です!
日程など詳細は下記よりご覧下さい。


ルジマトフのすべて2008


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芸術監督ルジマトフの一日(サンクト・ペテルブルグ編)

ルジマトフ写真
  芸術監督の一日は朝10時から始まり、夜の10時まで続きます。ダンサーだったときは自分の出番に向けて、体調を整え、自分自身をコントロールすればいいのですが、監督ともなれば、考えるのは劇場と自分以外の人のことばかり。朝のクラス・レッスンが始まる前から、夜の演し物が終わるまで劇場にいて、絶えずダンサーと先生たちの仕事ぶりを見るというのが基本的な仕事です。もちろんその間に、これからの演目のプランを練ったり、キャスティングを決めたりしなければなりません。

ルジマトフのデスクには日本のファンとの写真が飾られている
10:00 書斎に入り、当日と次の日のスケジュール表を見ます。スケジュール表を作るのは、いまはレジショール(進行係)になったラシッド・マミンの仕事。表を見ながら、その日はどのリハーサルに足を運ぶかを決め、あすの予定もチェックします。
リハーサルを真剣なまなざしで見つめるルジマトフ
10:30 クラス・レッスンの時間。クラスに行って、ダンサーたちの様子や先生の仕事ぶりを見ます。自分のフォームを保つためのレッスンは、別に行います。
ルジマトフレッスン風景写真
12:30 書斎に戻るか、教室や舞台で行われる個々のリハーサルを見に行きます。ダンサーたちとリハーサル・コーチの仕事を見るためですが、もちろん自分からも意見や注意を出します。 書斎に戻ると、ソリストたちがさまざまな質問を持ってくるのに答え、先生たちと次の日のリハーサルについてなど、打ち合わせや協議をします。
携帯で連絡をとる姿はビジネスマン
16:00 ソリストのリハーサルが始まる時間なので、見に行きます。 そのあと、書斎に戻って、たとえば外国からのお客などを接待します。
終演後、主演のシャスタコワにアドバイスするルジマトフ
19:00 舞台本番が始まる時間。舞台を見に行くか、夜のリハーサルを見に行きます。幕間には舞台裏に行って気がついたことを注意します。演目が終われば必ず舞台裏に行き、ダンサーやスタッフをねぎらい、またいろいろな注意をします。

 そのあと書斎に戻り、その日に気がついたこと、演技だけでなく、照明、音楽、演出その他すべてについて書き留めるのが、一日を締めくくる仕事です。 劇場を出るのは10:00時過ぎ。お疲れさまでした。

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インタビュー

すべては始まったばかり

インタビューに答えるルジマトフ写真
オープニングのご成功おめでとうございます。とてもいきいきしたすばらしい舞台でした。ここまで来るのにどのような道のりがあったのでしょうか。
―まだすべては始まったばかりです。私がいままでしたこと、そしてこれからしようと思っていることは、サンクト・ペテルブルグでもっとも美しい場所にある、この伝統ある劇場を、さらにプロフェッショナルなすばらしい劇場にすることです。いままでこの劇場はいつも私たちの街で2次的な位置付けでした。私は長いこと来日公演でこのバレエ団と一緒に仕事をしてきて、いつもそのことを残念に思ってきました。私がまずしたことは、私の仕事を助け、バレエ団を機能させるための幹部を作りました。最初に、仕事の内容をよくわかっている経験豊かなアンドレイ・クリギンを私の補佐役として、バレエ・ディレクターに任命しました。それから新しいバレエの教師を4人招きました。伝説的なバレリーナだったアーラ・オシペンコ、すぐれた指導者であり識者であるニキータ・ドルグーシンもそのなかに入っています。

今回の初日の舞台を作るのに、あなたご自身はどのように関わってこられたのですか。踊り手たちがとても変わったように感じたのでお聞きしますが。
―私は主にコーディネートに関わったのです。もちろんリハーサルを見ていましたし、ゲネプロのときもその場にいました。でも私からアーティストたちに直接注意を出すことはあまりないのです。先生たちといつも話し合っていますから、私の意向をよく知っている先生たちが現場で作ってくれると思っています。人間関係がとても大事なのです。

リハーサルを入念にチェックするルジマトフ写真
ご自身のアーティストとしての活動は、今後どのように続けられるのでしょうか。
―アーティストと芸術監督はまったくちがう仕事です。私自身の公演ということだったら、今後もありうると思いますが、ただクラシック作品を踊ることはおそらくむずかしくなってくることでしょう。プロのダンサーとして中途半端な仕事をすることは自分に許せないのです。それにファンにとって大事なのは、何を踊るかではなくて、踊り手の個性ではないでしょうか。肉体には限界がありますし、それは神様の決めることですから(笑)。日本のファンがクラシックを好きだということは承知していますが、わかっていただきたいと思います。これから何を踊るかは、日本側のスタッフとも話し合って考えていきます。

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